2015年8月15日土曜日

【協力隊あるある】 No.027

JA ⇒ 農協
電車 ⇒ 汽車
支所 ⇒ 役場
地区 ⇒ 村


【ドラゴン補足】
地域の人々は未だに、かつての呼び方を口にする。
何だか、温かみを感じる。

大野市に編入合併した「和泉地区」ですが、地区内外問わず、
慣れ親しんだ「和泉村」の方で呼ぶ人の方が大半な気がします。


2015年8月14日金曜日

【8月14日(金)】 Oh yeah baby, keep on dancing [活動128日目]

午前中に公民館へ行き、「若葉のふるさと協力隊」の隊員たちが残してくれた
「和泉通信」と、ぼく及び地域の方々へのメッセージを、入口のところに掲示させていただいた。


その後、公民館の方と一緒に大野市街地へ降り、「小学生ふるさと芸能発表会」の手伝い及び観賞。
8月13日~16日は「おおの城まつり」が開催されており、その一環である。

まずは、まんじゅう及びお菓子まきがあった。和泉小学校6年生の男の子も代表で撒く。


市内の各地区から代表の子らが参加するのだが、和泉地区からは全小学生17人が参加。
リラックスした様子で、控室で遊ぶ子どもたち。


6つのグループが踊りなどを発表し、
(撮影場所が遠かったが)


大トリは、我らが和泉小学生。


まずは上級生の篠笛に合わせ、1・2年生8名が昇竜太鼓(しょうりゅうだいこ)を披露する。
小さいながら、堂々としていた。


次に4年生5名の演奏。和泉小学校には今年度、3年生はいない。
4年生にもなると、力強さが出てくる。


最後に登場するのは5・6年生4名。
ソロパートもあったが、落ち着いており、迫力があった。


感想を聞かれ、しっかりと受け答えする1年生。

さすがやなあ。自分の子でもないのに、この17人を誇らしく思う。


道路では、中学生の踊りと神輿が行われていた。
和泉中学生9人の勇姿も見たかったのだが、ここで和泉地区へ戻ることに。


今夜は和泉のビッグイベント、「ふるさと夏まつり」の日である。


 お盆で帰省してきている人たちが集い、再会を喜び、穴馬(あなま)踊りを楽しむのだ。


見たことない人ばかりだった。「和泉のひと」は、こんなにたくさんいたのか。

民謡保存会のメンバーを筆頭に、穴馬おどり3曲を繰り返し踊る。
きょう初めて見たものもあったが、見よう見まねで何とか覚えた。

ひたすら踊り続けているとさすがに脚が痛くなってくるが、とにかく楽しい。


なんと、踊り賞(大人・子ども各5名)をいただいてしまった。恐縮である。
帰省して来ていた人たちは「あいつ誰や?」と思ったに違いない。恐縮である。


2015年8月13日木曜日

「若葉のふるさと協力隊」を終えて

四日目の記事で誤解を招くかもしれない記述をしてしまったのだが、今回の「若葉のふるさと協力隊」は、

最 高 だ っ た 。



東京と神奈川から5人の学生さんが和泉地区へやって来て、
様々なお手伝いや体験を五日間おこなう。

このプログラムを存分に楽しんでもらい、かつ和泉の魅力を知ってもらおうと、
6月の頭から粛々と準備を進めてきた。

詳細スケジュールをつくり、協力をお願いする方々に一人ひとり、ひたすら根回しをする日々。
なかなか骨の折れるしごとだったが、皆さん快く引き受けてくれ、なんともありがたかった。
全く苦には感じなかったし、むしろ皆さんとの関係も深まるし、楽しかった。

直接の関係がない方々にも、都会から若者が来るよという話をした。
皆さんすごく楽しみにしてくれて、頼んでもないのに協力を申し出てくれる人もたくさんいた。

いざ若葉が始まってみると、和泉の人の半端ない温かさを感じた。
いつも通りの人柄で隊員たちに接してくれ、たくさんの差し入れや気遣いをくれ、
来てくれてありがとう、またいつでも来てねと心から伝える。
若者5人が興味を持って和泉に来てくれ、みんな本当に嬉しかったのだ。

出逢う人 出会うひと、みんな良い人だ。
和泉の良さに改めて気付かされ、僕も本当に嬉しかった。

そんななか四日目の夜には、
和泉の人たちの想いが隊員たちに伝わっていないのではないかと不安に感じてしまい、
自分の不甲斐なさを悔い、涙してしまった。

が、それは全くの杞憂だった。

「めちゃくちゃ楽しかった」
「東京に帰りたくない」
「温かくて優しい人ばかりだった」
「和泉の方々には涙が出るくらい感謝している」
「最高に居心地が良かった」
「やさしさや心の豊かさをもらった」
「和泉の全てを好きになった」

などなど。
すべて、5人の隊員たちが残してくれた言葉だ。

ちゃんと伝わっていたのだ。
良いものは、ちゃんと伝わるのだ。



初めての場所、初めて会う人たち、初めて体験すること。
若葉の隊員たちには、常に緊張と不安が付きまとっていたと思う。

そこへ追い打ちをかけるようにタイトなスケジュールを強いたり、態度をたしなめたり。
心身を疲れさせてしまったかなと、反省している。

それでも、徐々に表情が柔らかくなり、隊員どうし仲良くなり、
素直に感動し、笑顔を見せ、楽しそうにしてくれていた5人。

最高の5人が来てくれた。本当にありがとう。
たぶん僕がいちばん楽しんでたけどな。

面倒くさいヤツだと思われなかったかな(笑
また遊びに来てくれたら、答えはノーだったということだろう。


[おまけ]
二日目の夜、交流会で「穴馬おどり」を踊る隊員たちと、和泉の人たち。
楽しかったなあ!


2015年8月11日火曜日

【8月11日(火)】 若葉のふるさと協力隊 五日目 [活動125日目]

昨夜は、深夜1時過ぎまで「いずみ通信」をつくってくれていた隊員たち。
ただでさえ疲れが溜まっているだろうに、申し訳ない気持ちだ。


そのあとは息抜きに、深夜の花火。少しだが、事前に用意しておいたのだ。
まあ僕がやりたかっただけなのだが。

結局、就寝は2時過ぎ。
最後の最後まで、隊員たちに無理をさせてしまったな…

不覚にも涙を流してしまったわけだが、
自分への不甲斐なさを感じ、和泉の人たちの温かさに改めて気付かされ、
そこに別れの寂しさなども加わり、気持ちが不安定になってしまったのかな。

隊員たちにも、情けない姿を見せてしまった。
しかし泣いても笑ってもあと一日。楽しまなくちゃ。


若葉のふるさと協力隊、五日目。最終日である。
もちろん隊員たちは寝不足。

公民館の方と僕で、流しそうめんで使うテントを取りに行き組み立てる。
その間、隊員たちには家で荷づくりなどしていてもらい、
途中、5人は公民館長の車で、小学生の笛と太鼓の練習を見に体育館へ。


合流し、コースを作る。
重いテントをみんなで運んだら、


フルーツポンチと白玉をつくるお手伝い。


小学生たちが集まってきたら、いよいよ若葉さいごのイベント、流しそうめんが始まる。


隊員たちも、子どもらと話をしながらそうめんを啜る。


初めて会う人でも物怖じしない、和泉の子たち。
いろいろ聞いたり聞かれたり、楽しそうにしていた。



そうめんは、こうしてワイワイ食べるのが美味い。
途中、なぜかゼリーも流していた。


スイカが出てくると、草むらに向けて種飛ばしをする子どもたち。


デザートのフルーツポンチは好評だった。


こんどは5・6年生が流し、大人たちが食べる番。
診療所の先生や向かいの消防分遣所からも人が集まり、うどんも流し、盛り上がる。
だいぶお腹が膨れてきたところで、そろそろ出発の時間が近付いてきた。


和泉支所へ移動し、支所長から労いの言葉をもらう隊員たち。


 
一人ひとりが修了証を受け取り、


プールへ行ってしまった子どもたちを追いかけ、みんなでパチリ。


お世話になった公民館の方々にもあいさつする。


 
ふたたび和泉支所へ移動したら、いずみ通信を用いて今回の活動について発表してもらう。
ビデオ撮影もし、こちらの様子は和泉地区のケーブルテレビで放映される予定だ。


素晴らしい通信である。よくつくってくれた。


そしてなんと、僕へのメッセージも残してくれた隊員たち。
だから昨夜、作業が遅くまでかかっていたのか。泣いてまうやろ。


さて、道の駅でおみやげを手に入れたら、和泉地区を出発。
途中の酒屋さんで「黒龍」という地酒もお土産に購入し、福井駅へ向かう。
とんちゃん(ホルモン)も、担当者さんが一人ひとつ、プレゼントしてくれた。


お疲れの隊員たち。
本当、よく頑張ってくれた。色々と振り回して、悪かったね。

楽しかった、東京に帰りたくない、と言ってくれたのがまた嬉しい。
和泉の魅力は、しっかりと伝わったようである。

またいつでも遊びに来てよと告げ、 福井駅で解散。


家に帰ると、がらんとしている。あんなにワイワイやっていたのに、いまはただ静かだ。
家族が出ていってしまう寂しさというものが、少し分かった気がした。

けっきょく僕は、今回の若葉隊員5人が大好きになってしまい、仲間として一緒に過ごしていたんだな。

連日 暑かったので、目からも汗が出てくるようになったらしい。



今回、はるばる大野市まで来てくれた5人。楽しんでもらえたようで良かった。
僕もこの五日間、めちゃくちゃ楽しかった。

でも、伝えたい魅力はまだまだたくさんある。もっと知ってもらうためにも、また来てもらわな困る。

優香ちゃん・桃香ちゃん・小蕾ちゃん・拓斗くん・実里ちゃん、本当にお疲れさまでした。
で、次はいつ来るんや?


2015年8月10日月曜日

【8月10日(月)】 若葉のふるさと協力隊 四日目 [活動124日目]

あと一日半となった若葉のふるさと協力隊、今日で四日目です。

タイトなスケジュールでみんなお疲れ気味ということもあり、
朝一番に予定していた化石発掘体験は見送ってスロースタートとする。

自転車でお隣の集落へ移動し、僕がいちばんお手伝いに来ているお母さんのところへ。
昨年に亡くなった旦那さんに、みんなでお線香を上げる。なんという奇遇か、まさに今日が命日であった。
みんな普段することもないようなので、これはこれで良い経験だったかなと思う。


まずはみんなで畑の草刈り。人海戦術だ。

しかし炎天下で黙々と作業していたため、ひとり具合が悪くなってしまった。
支所の担当者さんに迎えに来ていただき、診療所へ。
軽い熱中症とのことなので、点滴を打ち、しばらく安静にするという。

隊員の体調管理が行き届かないのは、完全にコーディネーターである自分の力不足である。
慣れない環境のなか、ここまでほとんど自由時間もつくれずに無理をさせ、疲れを溜めてしまった。
申し訳なさと、至らない自分への憤りを強く感じる。


さて、その後は手押し耕運機で2畝だけ耕す。
思った以上に握力が必要で体も持って行かれる農機具を、順番に体験してもらった。


畑で獲れたてキュウリを丸かじり体験。
「となりのトトロ」で、さつきちゃんとメイちゃんがやっていたやつだ。甘くて超うまい。


アホじゃないかと思うくらい暑いので、しばらく佐宗隊員邸で休憩。
昼食はウィンディさんの名物「かつとじ定食」をいただく。超うまい。

午後もしばらく休んでもらい、


夕方から公民館へ向かい、明日の流しそうめんの準備。
ずっとお世話になっている公民館の方と支所の方が切ってきてくれた竹を二つに割り、
フシを取ってヤスリで削っていく。


ぶっ倒れる前に作業を切り上げ、公民館内で休憩。
居合わせた区長さんとお話しする隊員たち。


営業時間は終わっているが、化石発掘体験場へ。
僕もちょくちょくお手伝いに来ているので、ある程度の説明はできる。
貝や植物の化石を、物珍しそうに見つめる隊員たち。

活動期間ちゅう最後のハーブ湯で汗を流したら、


夕食をみんなで作る。大野市産のおいしいお米を炊き、


先日の料理教室で覚えた、穴馬スイートコーン冷スープをつくり、


第二冷蔵庫(来客用お酒保管庫)を物色し、


最後の晩餐。
おかずに、まだ残っていた とんちゃん(ホルモン)を焼く。

お酒も飲みつつ、それなりに楽しそうに食事を進める面々。
だがその横で、考えに耽る僕。

今回、和泉の魅力を伝えたいあまり、予定を詰め込み過ぎてしまった。
そのため充分に休む時間も取れず、隊員5名に無理を強いてしまった部分が多々ある。

活動中ずっと天気が良いなか、屋外での作業が続き必要以上に汗をかかせてしまった。
せっかく皆さんがつくってくれた料理を無駄にしまいと、常に満腹状態にさせてしまった。
不安定なスケジュールで、常に振り回してしまった。
その結果、体調不良者も出してしまったのである。

その一方、隊員たちに対する物足りなさも正直、感じていたのだ。
今回「若葉のふるさと協力隊」があるということで、誇張でなく100人以上の方々が協力や支援をしてくれた。
若者5人が来てくれることを皆さんものすごく楽しみにしており、
手料理を用意してくれたり根回しをしてくれたり野菜をくれたり物を貸してくれたり応援してくれたり。

……だが、その想いは隊員たちに届いていたのだろうか?

自分から話や質問などをすることなく黙っていたり、
地域の皆さんが準備や片づけを一生懸命するなか、隊員たちは何もせず手をこまねいていたり、
和泉支所長の家に招いてもらったときも、配膳の手伝いをするでもなく座って見ているだけだったり。
口では礼を言っていても、感謝の気持ちや礼儀というものが、どうにも感じられなかったように思うのである。

それはつまり、ここまで良くしてくれた和泉の方々に申し訳ないと思う気持ちと、
和泉の方々の気持ちを伝えきれなかった自分に対する憤りの気持ちとが混在する。

参加者たちは今回、19,000円という参加費を払い、さらに東京・神奈川からの交通費も負担している。
だからというのもあり、口うるさく指導するようなことは、しづらかった。
それぞれに参加した目的も違うし、強く言って和泉の印象を悪くするわけにもいかない。

普段できないような経験もあり、少しでも楽しいと思ってくれた部分があっただろうか。
それならまあ、良いのかもしれないけれど。

でも僕は、今回のプログラムは失敗だったのではないかと思ってしまった。

ひとり、泣いた。

自分で触れるのもどうかと思うが、
この五日間のために、たくさんの人と話して根回しをし、家の掃除や整理をし、
必要な物をかき集め、自腹でもそれなりの負担をし、
でも参加者が楽しんでくれるならと、和泉の魅力を知ってもらうためならと、ずっと努力してきたつもりだ。

しかしそれが無為だったのかと思ったとき、それは虚しい気持ちになった。
けっきょく自分の力など、その程度だったのかと。
明るく気丈に振る舞っていたつもりでも、結局は ただのヘタレだったのかと。

いやもちろん、参加者たちは慣れない仕事をずっと頑張ってくれていた。
ずっと気を張っていることなど、不可能なのだ。

要するに僕は、自分が情けないのである。
結局すべて、僕の独りよがりだったのかもしれないと。

ただただ、悔しかった。










……地球緑化センターの担当者さんから、電話があった。
泣きながら想いを吐露し、励ましていただいた。
あと一日、がんばろうと思った。





そして、隊員たちにも話をした。
今回、和泉の人たちがどれだけ楽しみにしてくれていたかということ。
利害関係とかでなく、ただただ来てくれるのが嬉しいからこんなに良くしてくれ、
また来てくれよと、笑顔で本心から言ってくれたこと。

自分でもよく考えがまとまっていないし、ちゃんと伝わったかは分からない。
でも明日、公民館の流しそうめんを楽しみ、笑顔で帰ってくれたら。
少しでも、各々が参加した目的のヒントを得られていたら、それで良いのかな。

このブログを更新しているいまも、隊員たちは一生懸命に、模造紙に「いずみ通信」を書いている。
この五日間で感じたことを、思うままに、形に残してもらうのだ。

どんなものをつくってくれるのか、楽しみだな。