2017年6月3日土曜日

【6月1-2日(木-金)】 誰かが甘く誘う言葉に [車の旅34-35日目]

6月1日(木)

雲仙市の海上から、北側の陸地へ向けて、堤防道路というのが伸びていた。
全長8.5kmくらい。これは良いショートカットだ、便利だね。
とか言いながら、走っている途中で気が付いた。あ、これが諫早湾の干拓事業でつくられた堤防じゃんか、と。


渡った先の道には、可愛らしいバス停がいくつも。


いろんな果物や野菜。あと、開門しろとかするなとかの看板が至る所に。
どう転んでも関係者全員が幸せにはならない、厄介な問題なのかね。


佐賀県に戻ってきたでーす。太良でーす。


弥生時代を感じようと、吉野ヶ里歴史公園を訪れてみた。


発掘調査結果を基に当時を推測し、復元整備されている。


全体としてはかなり広いようで、遊具や広場があったりバーベキューしたりできるようだ。
独り遊びしても寂しいので、弥生が再現されている区域を周っていく。


竪穴住居や高床倉庫といった建造物が、いくつもある。


中にも入れる。よくできているものだ。
火災報知機やスプリンクラーも設置されているけど、消防上というか消防法上というか、仕方ない。


改築中・工事中のところも、けっこうあった。過去と現代の建築技術の融合。


塀で囲まれ物見やぐらの建っている、内郭(ないかく)。王たちの居住空間だったという。


甕棺(かめかん)、すなわち棺桶である。 素焼きの土器で、この中に故人を納め、埋葬したらしい。


その墓列から、少し離れた丘。歴代の王など、身分の高い人たちが埋葬された場所だと考えられているそうだ。
ここは室内のミュージアムになっており、発掘された本物の棺などが展示されている。
迫力というか、厳かな感じがあるな。


校外学習で訪れていた賑やかな小学生たちに混じり、良い日本史の勉強となった。


車は南東へ向かい、


ブックオブベアー、熊本県へ突入。


国道沿いの、大衆浴場。奇跡の湯、とか美肌の湯、とか100%天然にがり温泉、とか書いてあった。
ありがたみはよく分からないが、ぬる過ぎず熱すぎない露天に、じっくりと浸かる。


[大体の走行ルート] ※大雑把に示しているため、実際の運転とは必ずしも一致しない
【走行距離:252km/Total:8,027km】



6月2日(金)

熊本県の南西部には、天草諸島と呼ばれる大小いくつかの島々がある。
この辺をちゃんと地図で見たことは無かったので、正直よく知らなかった。というわけで、行ってみねばなるまい。


宇土(うと)半島から、天草五橋という五つの橋を渡っていく。
1号橋、


2号橋、


3号橋、


4号橋、


5号橋と。間の小島を通り、上島(うえしま)というちょっと大きめの島へ。


まずは、ここを半周。
ちなみに、もし熱心にブログを読んでくれている方がいたら気付いているかもしれないが、日本列島にしろ島々にしろ、
走行は基本的に右周りである。単純に対象物、主に海が運転席側にあった方が見やすいからという理由。
あと、こっち周りの方がなんか落ち着くから。右利きはそうなのかな。

で、この上島は気分を変えて左周りだ、という話である。どうでもいい話である。


ここだけでも一時間ちょっとかかり、今度はもっと大きい下島(しもしま)へ。
ここに天草市がある。それなりに街だ。


こっちは、いつも通りの右周りで。海があって、


山があって。どっちもあるってのが良いよな。


のんびりと海沿いを行く。


おんちゃんが、小舟の上で作業していた。


こういうところの住宅地は、たいてい狭い。
そして、おばあちゃんたちがゆっくりと歩いていたり、玄関先に座っていたりする。徐行運転。


下島の西端あたりで、車を停めて小休止。


静かだ。向こうに、航行する船が見える。


きれーな水。


どこの田舎へ行っても、道祖神というかお地蔵さんというか、道端に祀られている。
そしてしっかりと、新しいお花が手向けられているのだ。ずっと昔から、連綿と続けられているのだな。


上島に戻って、さっきと反対側を半周。
朝一番から昼過ぎまで走り続けて、上下の島を8の字に一筆書きとなった。


お昼時間を過ぎてお客さんのいなくなった、道の駅のレストラン。海鮮天丼というのをいただく。
このあたりはタコが特産のようで、他にイカ・エビ・お魚の天ぷらが、大体ふた切れずつ載っている。嬉しいね。
どれもプリプリでホロホロでサクサクで、甘ダレがしっとりと絡みついていて、旨かった。


合掌しているデフォルメされたタコと、壷に絡みついているリアルなタコ。
ここ有明海は干満差が大きいため、タコの餌となる貝やカニが多い。
また急流で育つため、肉付きが良く味が良いのだとか。


では、たこ焼きも食べねばなるまい。パッケージからは、どこか平成初期くらいの感じが漂う。


ソース味と塩味。どちらも味わえるようにと、おばちゃんが半々にしてくれた。どっちも旨い。


港近くの小橋で信号待ちをしていると、横の小さな堤防に座り、少年が魚釣りの準備をしていた。
誤解を受けたり不快を与えたりするといけないので、写真には撮らなかったけど。
健全な遊びだ。青い芒の小径を帰るのかな。


本土の熊本県西部を南下し、ある岬へ。展望台からは、


夕焼けに染まる海が見える。


ちょっと遅かったか。まあこれはこれで美しい。


すぐ近くの温泉へ。塩化物泉というやつで、ちょっと眼に沁みる、少ししょっぱさを感じるお湯だ。


その温泉水を使用した、塩ソフトクリーム。甘さの中に、ほんのりとしょっぱさがある。

 久しぶりに、距離を走った日だったな。


[大体の走行ルート] ※大雑把に示しているため、実際の運転とは必ずしも一致しない
【走行距離:343km/Total:8,370km】



2017年6月1日木曜日

【5月30-31日(火-水)】 それは 君が見た光 [車の旅32-33日目]

5月30日(火)

佐世保市に来たからには、食べねばなるまい。


佐世保バーガー。名前ばかりでどんなものかは知らなかったのだが、
手づくりかつ注文を受けてからつくり始める、というスタイルのようだ。あとは玉子焼きの挟んであるものが多いようである。

食べたのは、お肉のたっぷり入った、佐世保バーガースペシャル。
10分くらいの待ち時間があるが、それに応えてくれる美味であった。


これといったスポットには立ち寄らず、のんびりと景色を眺めながら、車を走らせる一日。


夕陽の見える道の駅。ちょっと時間は早いけど、お風呂なしでここに泊まるかな。
と思ったものの、やっぱり長崎市内まで走る。


昔ながらの銭湯に来てみた。
入口から女湯と男湯に別れていて、入ってすぐの番台には番頭のおばちゃんが座っている。350円を支払う。
時代を感じさせる、完全に昭和の雰囲気だ。昭和しらんけど。ちょっとワクワクしてくる。

古い靴箱とロッカー。浴場も広くはなく、洗い場のシャワーは固定式。お湯と水それぞれ、プッシュ式の蛇口。
BGMに、まったく知らない演歌が流れている。中央に小さな湯船。2,3人も入れば一杯だ。
隅っこには、もっと小さな湯船。ちょっと刺激強めの電気風呂で、もはや1人用。そして、やはり小さな水風呂。

脱衣所には、普通の家庭用ミニ冷蔵庫。何種類かの飲みものが申し訳程度に入っているので、牛乳を買って飲む。
数十年来のお客さんなのだろう、地元のおじいちゃんたちが数名、穏やかな時を過ごしていた。

帰りがけ、一人のおじいちゃんが小さめの声で「おつかれ」と言って微笑んでくれる。
まさか声をかけられると思わず油断していたので、どうも!と返すので精いっぱいだった。しかし素敵だぜ、そういうの。
たまには、こういうお風呂も良いものだな。


[大体の走行ルート] ※大雑把に示しているため、実際の運転とは必ずしも一致しない
【走行距離:183km/Total:7,555km】



5月31日(水)

長崎市近辺には道の駅も無いようなので、昨夜は車中泊できる場所を探して、しばし走り回っていた。


市街地から外れたところに、道路公園という駐車場を見つけたので助かった。
利用していて文句を言われず、変な輩が たむろすような場所でなければ、どこでも良いわけだが。
基本的に道の駅で寝泊まりしているのは、これらがまずクリアされているからである。自分で探し周らなくて良いし。


和泉地区の方に、長崎県でオススメのお店がある、と聞いていたので諫早市へ。
情報と完全に一致する場所では無かったものの、たぶんここだろうと。


長崎といえば、ちゃんぽん。これを食べねばなるまい。

具材がたっぷりと乗っており、かなりボリューミーだ。スープはコクがあり、それでいてスーッと喉を通る。
野菜のシャキシャキ感や肉と練りものの軟らかさも絶妙で、またそれぞれの味が活きている。
そして麺がそれらを引きたてるように、しっかりした土台として存在している。

旨かった。これは美味かった。和泉の方が言ってたお店と違うかもしれないけど、もはや僕の中では正解だ。
再び長崎を訪れる際には、また食べにこよう。


佐世保バーガーもちゃんぽんも食べたし、長崎はほぼ完璧かな。
否、ちゃんぽん屋さんに向かう途中で、気付いてはいた。
ちょっと待て長崎で訪れるべき場所に行ってないだろ寝ぼけてんのか、と。


諫早市から長崎市へ、一時間弱ほどかけて戻る。坂の多い街だ。


平和公園。小学生や中学生や高校生が、いくつもの学校から、たくさん訪れている。
平和祈念像の前では、代表の子たちがスピーチをし、黙祷をし、


その後、合唱をしていた。


 南の方へ少し行くと、原爆落下中心地がある。


ここにも学生さんたちが集まり、先ほどと同じように想いを捧げていた。


公園内には、各国から贈られたという像がいくつも設置されている。
他に防空壕の跡や、爆心地に近かった収容所の遺構など。

あまりにも生徒さんでごった返していて、ゆっくりと観られなかったのがちょっと残念。
こういう場所を訪れるのは、日中を避けた方が良さそうだな。


公園の横は、もう普通に街である。


浦上(うらかみ)川。被爆した人たちが水を求めて集まり、何千体もの死体となって浮いていたという。
揺らめく水面には、その数千の無念や苦しみが見えるようだった。ほんの70年前の出来事だというのが、信じられない。


先へ行こう。 街には路面電車も走っている。慣れていないため、路電用の信号で発進しそうになったり。
右左折時に、衝突しないのこれ先に行って良いの、とヒヤヒヤしたり。疲れる。


眼鏡橋もチラ見しておいた。全然メガネが分からない写真だけど。


九州限定だって。


交通量の多い道を走り、車一台ぶんの狭い道を走り、視界が開けてまた、


こんなとこや、


あんなとこや、


そんなとこを走る。
島原半島の南側、すなわち南島原市の方をぐるりと周ろうかとも思ったものの、今日は運転に疲れた。


雲仙市に直行。ミニチュアなヘルのホットスプリングに墜ちてみることとする。


到着したのが、17時25分くらい。入口の案内を見ると、日帰り入浴は18時までとある。やば。
すみませんまだ大丈夫ですか、と受付のお姉さんに聞いてみたところ、オッケーをもらった。ラッキー、僕が見た希望。


浴場は広めで、洗い場数15ほど。
大きい湯船には、白く濁ったお湯がたゆたっている。ほんのりと硫黄臭が漂うが、含有量は多いらしい。
そしてこの時間の来館が功を奏したようで、完全に一人占めできてしまった。なんと贅沢な。ふれあいの心。


ギリギリの18時まで、全身で味わうのだった。のぼせた、最高である。幸せの青い雲。


おー、もくもくしてる。


ここは、さすがに硫黄の臭いが非常に強い。住人の方々は、もはや慣れてしまうのだろうか。


雲仙岳の臨める道の駅に到着。


ここに隣接していたのが、土石流被災家屋保存公園。


四半世紀ほど前に被害を受けた家々、十戸ほどがそのまま保存されている。


一階部分、あるいは二階部分までもが、完全に埋もれてしまっている。


人家が、いとも簡単にこんな姿になってしまうのか。
こうして形で残されていると、その恐ろしさは一目瞭然だ。


東日本大震災の被災地には衝撃を受けたが、こちらもまた、自然の脅威を見せつけられた。

地球のもたらすものは避けられないのだろうけど、
人のもたらすものは無くすことができるはずだよね。


[大体の走行ルート] ※大雑把に示しているため、実際の運転とは必ずしも一致しない
【走行距離:220km/Total:7,775km】