2016年1月2日土曜日

【12月31日(木)/1月1日(金)】 今年こそはきっと世界に たくさんのいいことが ありますように [活動267/268日目]

12月31日(木)

大晦日の夜。ご近所さんに声をかけてもらっていたので、お邪魔させていただく。
息子さんと娘さんも帰省してきており、一家団欒に水を差すようで恐縮だったが、温かく迎え入れてくださった。
豪勢な食事をご馳走になる。


年越しそばは、ニシン入り。ここらでは慣れた食し方のようだが、僕は初めてだ。
だしは濃いめで、甘みが強い。うまい。

一人でウィスキーボトル半分くらいは平気で空ける酒豪一家と日本酒など呑みながら、
2015年最後の晩餐を堪能させていただいた。ありがたいことです。ごちそうさまでした!



1月1日(金)

年は変わり、元日。川合地区では「箸初め」という恒例行事があるという。
またもお呼びいただいたので、道場にお邪魔させてもらった。


集落の方々が7時に集まり、おつとめを始める。各戸の世帯主は作務衣のようなものを着て、最前列で。

川合の行事に参加する姿が馴染んだね、と言っていただいた。
ヨソモノだからと撥ねつけない、その寛容さのおかげです。


お母さん方は6時から、お雑煮などの準備に取りかかっている。
来た人にお茶を出したり下げたりするし、おつとめ中も台所で作業は続いている。
男女で役割が明確に分かれているあたり、やはり田舎では日本の古き姿が濃く見える。
得意を活かしているとも因習ともいえるから、一長一短ではあるのだろうな。

僕も少し手伝わせてもらい、


お雑煮をいただく。穴馬(あなま)かぶらの漬物でつくったお花が可愛い。うまい。


食前と食後には、みんなで合掌し感謝の辞を述べる。これも川合集落の文化だ。


参加したのは三十数人ほどだったか。


50畳ほどの、道場の大広間。かつては ここいっぱいに人が集ったというが、やはり人口減。

宗教的にも稀有で貴重な催しが多い川合。
興味のある人を呼び込んで参加してもらうようなことができんかな、なんて話もあった。
そうでもせんと継承していくことができない、という危機感は強いようである。


さて、箸初めのあと、そのまま同集落の方のお宅に招いていただいた。
ひいお祖母ちゃんも元気で、四世帯7人が暮らしている大家族。
ふだん関東で暮らす学生さんも帰省してきており、僕も含めて9人の大所帯となった。

お節やお菓子や飲み物や、ごちそうになる。


 
小学生の長男坊を中心にUNOやトランプ、未就学児の長女ちゃんを中心にパズルや恐竜人形あそびなど楽しみ、


ちょいとお散歩。学生さんと長男くんと僕、三人で。


川向かいの新興住宅街、ぶなの木台地区へ歩き、


その隣の貝皿地区を眺めながら細道を行く。360°、山々の風景。
「自然がきれいだねえ」「おいしい空気を吸おう」などと言いながら、写真を撮り続ける小学生。
これを子どもがサラッと口にできる環境が、いかに豊かで満たされているのか。想像に難くないと思う。

ちなみに、中部縦貫自動車道という高速道のインターチェンジが、数年後に この場所にできる。
大野の街まで30分かかるのが半分になるので、便利にはなる。が直後に小中学校も統廃合されるし、
よほど引きつけるものが無ければ、和泉に立ち寄る人も激減してしまう。
最善は、どこにあるのか。


散歩の後半は、ちょっとしたアドベンチャーも。用水路の端を伝って渡る。
ちなみにこういうのを「危ないから!」と制していると、大した人間に育たない。という個人的意見。


そして細い橋を経由して川合の方へ。


下が丸見えだ。


道なき途や裏道などを通り、小一時間は寒風に吹かれていた。冷えたけど、おもしろかったな。


暖かい屋内で、ひと昔以上前のワープロで遊ぶ小学生。


「家に帰っても一人で寂しいやろ」と、夕飯までいただくことになってしまった。カニや肉や、豪華な食卓。

写真のこれは、漬物の味噌煮。雪国ならではの冬料理だ。
かつて隣の家にも行けないほど雪深いとき、各家庭にあるものだけで厳冬を越すべく、つくられていたという。

ご飯に乗せると、これがもう合う、超うまい。箸の進むことすすむこと。
想像していたような しょっぱさも無く、むしろさっぱりしている。
さいきん胃が縮んでいるうえに日中けっこう食べたものの、茶碗4杯いってしまう。


けっきょく丸一日、こちらのお宅の一員として過ごさせてもらった。
子どももいて賑やかで、みんな和やかに過ごす元日。笑顔を零しながらわいわいと、すげー愉しかった。
せっかくのお正月なのに、親類でもない僕を歓迎してくれる大らかさと温かさは、ほんと凄い。ありがとうございました!


箸初めでは それほどの手伝いもしていないのだが、お礼にと、こんなにいただいてしまった。
かえって申し訳ないが、ありがたい。

これをくれたお母さんも、当初はちょっと苦手というか、難しそうだなと思っていた。
僕もあまり好かれていないように感じていたのだが、今ではすごく良くしてくれる。
そういう人も数人いたから、早々に判断するとか、まして見限るとか、やはり容易にしてはいけない。


自宅のポストには、歩いてすぐそこに住むお母さんからの年賀状が。

ほんのひと言でも、ちょっとした気遣いでも、計り知れない力を生み出す。
今年も良い年になるな。間違いないやろ。


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