お寺さんによる法話があるというので、川合地区の道場を訪れる。
和泉地区にはお寺が存在しない。その代わり各集落には道場があり、大広間と立派な仏壇が備えられているのである。
地区の皆さんも一緒に読経をしたのち、お話を伺う。
お寺の境内にあった、樹齢90年ほどの紅梅が倒れたという。それはもう終わりと思いきや、それをきっかけにして
様々な出来事があった、その「御縁」の話。死ぬためではなく生きるために生まれて来るのだという話など。
お坊さんというのはどうも胡散臭くてあまり良い印象が無いのだが(すいません)、法話を聴くのはおもしろい。
浄土は良いところのはず、嫌だったらみんな戻って来てるだろうから。てのは良かったな。
死ぬのは仕方の無いことなので、いまを精いっぱい生きましょう、と。
お母さんがつくってくれたお餅、熟れ鮨(なれずし)、お茶をいただく。うまい。
人が集まれる場所と機会があり、お喋りし笑い合える。
当たり前にたいせつなことだが、いまの時代それも難しくなり、忘れられているのかもしれない。
田舎が温かいという要因は、そこに一つあるんだろうね。
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