前回の記事でも触れたように、僕が幼少を過ごした地域も、かつて田舎だった。
実家に飾ってある3枚の写真をご紹介しよう。
1982年。
ど田舎である。菖蒲谷戸(しょうぶやと)と呼ばれていた集落だ。
真ん中やや右上に「←」で示してあるのが、僕が生まれ小学1,2年生ころまで過ごした家。
裏の畑や竹林、近くの神社などで、よく妹と遊んだのを覚えている。
15年後の1997年。
真ん中やや左下の矢印が、先の写真と同じ場所だ。都市開発が始まり、見事に更地となっている。
さらに10年後、2007年。
爆発的に住宅が増えている。
右上の方にある矢印がお分かりだろうか。言わずもがな、同じ場所である。
写真に写っていない奥の方も、次々と切り開かれている。
僕がカナダに行っている2年の間にも、何も無かったところに家がずらーっと建ち並んでおり、びっくりしたものだ。
計画人口は28,000人だというこの街は、いまも驚異的なスピードで変貌している。
小学校高学年以降は この街で暮らしてきたが、8歳ころまで育ってきた場所は、もう無い。
今まで意識していなかったが、やはりどこかに寂しさは持っていたのだろう。
知らずしらず、「ふるさと」を求めていたのかもしれない。
帰省中に祖父母宅にも顔を出し、叔父夫妻の子にも会ってきた。つまり僕からみて従妹だ。
人懐っこくて、かわいい。
いまの場所が、物が、そして人が、この子らの「ふるさと」となっていく。
残すべきものは、何だろうか。
僕たちがすべきことは、何だろうか。
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