石見銀山は、戦国時代から400年ものあいだ採掘されていたという、世界有数の貴重な鉱山遺跡。
今年で世界遺産登録10周年になるそうだ。
ここ大田(おおだ)市のキャラクター、らとちゃん。かわいい。
かつて坑道で使われていた、サザエの殻に油を入れて火を灯した明かり。
螺灯(らとう)と呼ばれるそれと、鉱夫の衣装がモチーフになっているらしい。目の付けどころが良いな。
公開されている坑道まで、駐車場から歩いて2km以上。
ふつうに田舎だが、重要伝統的建造物群保存地区というのに指定されている。
安易に改修とかできないやつか。
住民憲章が掲げられていたけど、お店をしている人は良いとしても、一般住民の方々にしてみたらどうなのだろう。
連日わらわらと観光客が来て騒いで汚して、正直ありがた迷惑、というか超迷惑なんじゃないだろうか。
そのあたりは、分からない。聞くチャンスがあれば良かったのだが。
坑道のことを、間歩(まぶ)というそうだ。
大小600余りが点在するようで、あちこちに見られる。入れないけど。
入洞できるのがこちら、龍源寺(りゅうげんじ)間歩。
受付のおんちゃん二人と、東京から福井に移住した旨などをしばしお喋りすることになる。
あと、僕の出身地である八王子市と石見銀山が関係していることなど。それは後述。
中へ入ると、ひんやりしている。というか、けっこう寒い。
摂氏12度くらいだ。そして、かなり仄暗い。
本来の長さは600mほどらしいが、いま見られるのは、その約4分の1。
鉱脈を追って掘り進んだ横道のようなものや、
ノミの跡などがそのまま残されている。
十日で十尺を掘ったというから、一日あたり30cmくらいだ。
これほどの穴を人力で。気が遠くなるような労働である。昔の人は、えらい。
自分だけ異世界に取り残されたかのような錯覚に陥る。先に進もう。
この先の非公開部分は、落盤のために塞がれているようだ。
出口は、観光用に設けられた新坑道。
各種の説明パネルが、10枚ほど設置されていた。
溜まった水を排出するのに、竹などを活用したポンプも使われていたのだな。ハイテク。
明治期以降に建設された精錬所、の跡。不採算となり、すぐに閉山してしまったようだ。
大久保長安(ながやすorちょうあん)という人の、逆修墓(ぎゃくしゅぼ)。すなわち生前墓があった。
外様ながら、徳川家康の近臣として仕えた人。
八王子城城主・北条氏照(うじてる)亡き後に旧領を与えられ、八王子千人同心を創設するなど、
エイトプリンスシティに随分と貢献をしたといえる。のちに、ここ石見銀山を任されたのだ。
しかし相当に派手好きだったらしく、不正蓄財もしていたらしい。
当人は病死しているが、その後には息子7人が全員、切腹を命じられているとのこと。何ともな人物である。
螺灯とか間歩とか逆修墓とか大久保長安とか知ったように綴っているが、
石見銀山を訪れたことで、初めてあるいは改めて、勉強になったわけである。
おもしろかったし、知識が増えた。
なかなか怖いカカシをスルーし、西へ。
お昼ごはんを食べようと思うも、水曜定休のところが多い。
でもコンビニとか牛丼屋で妥協するのもなあ、とか言ってるうちに、どんどんタイミングを逃していく。
益田市に着いたところで、ようやく大衆食堂を発見。
日替わりランチは、かなり品数が豊富で、かなりボリュームがあった。
お腹ペコペコだったので、なおさら旨い。満腹になりましたと、女将さんにお礼を告げる。
朝昼いっしょのブランチならぬ、昼夜いっしょのディランチを終えたら、
今日はランドリーデイ。洗濯と乾燥をまとめて担当してくれる機械で。便利。
左のマシンでスニーカーも洗うが、ブラシが上手いこと回転していなかった。まあいいわ。
走り出して、ああこれかと思い、急ぎ撮った風景。
ゆうべ温泉で逢ったおんちゃんが教えてくれた、高津(たかつ)川。かつて日本一の川に選ばれたのだという。
日没後だとブレブレになるが、ここからネクストステージ。
小学一年生が最初に漢字で書けるようになる県、山口である。
すぐのところに、田万川(たまがわ)温泉なるところが。
東京の多摩川のドッペルゲンガーかな。
館内には、懐かしのレコードジャケットがずらり。
懐かしの音楽が販売されていたり、
懐かしの品々も展示されていた。おもしろい。
温泉の方は泉質が濃いらしく、ぬめりがあり赤みがあった。
温度は高くなかったものの、湯あがり後もしばらく汗が引かなかったので、やはり良い温泉なのかなと思う。
温泉ソムリエでも温泉マイスターでもないから、知らんけど。
すぐ近くの道の駅で、今夜はおやすみ。
[大体の走行ルート] ※大雑把に示しているため、実際の運転とは必ずしも一致しない
【走行距離:152km/Total:6,426km】
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