2017年4月24日月曜日

【4月18日(火)】 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に [車の旅8日目]

※一部、撮影および掲載するのは不適切・不謹慎なのではと思われるかもしれない写真があるものの、
記録に残し、また皆さんにお伝えしたいという想いのもと、記事にさせていただく。


昨日に引き続き、太平洋沿いを走っていく。


左右には何も無いが、ひと昔前のカーナビ地図上では、道も地区の名前も表示されている。


名取市。
道を外れた先にお墓が見えたので、近くへ行って車を停める。誰もいない。
もともとお寺さんがあって、墓地の区画だったようだ。古い墓石も新しい墓石もある。


崩れたままになっているものや、大きく傷が付いたもの、流されたのが何十何百と集められ置いたままになっているもの。
強固なはずの石が、こんなに容易く損傷を受けるものなのか。


慰霊碑にお線香を上げ、手を合わせる。


本堂の入口だったのだろう。お寺の名が刻まれた石柱は、根元から抉られ倒されたままになっている。


閉校になった小学校。見た目の被害は少ないように見えるが、右側、海に近い方には爪あとが確認できる。


北上し、七ヶ浜町・塩釜市と進む。


避難施設だ。


随所に、津波の浸水深が示されている。


海の目の前に並ぶ木々は、歪曲している。津波に耐え、残ったものなのだろうか。


海抜の低いところは大抵、過去の津波浸水区域となっている。


道路も、多くの工事車両と作業員さんたちの手により、復旧が行われている。


女川町。


新しく、綺麗な商店街ができていた。お客さんや、住民と思われる方々も行き来している。


その先に、電車の駅。


ここから始まっているのだ。


展望スペースからは、何ヶ所もで工事をしている光景と、ずらりと並ぶ数百もの墓石が見える。


小さなお土産コーナーで購入。


再び。それと、女川弁で「食べてください」を意味するのだという。良いネーミングである。


車を走らせる右手側では、何かしらの工事をしている風景が続いていく。


こうして見ていると、穏やかで美しい海なのだが。あの日だけは、違ったのだな。


並べられたテトラポッド。


堤防や防潮堤も、新しいものがたくさんできている。


橋が崩れているところも、何ヶ所もあるようだ。その数だけ、迂回路を通るようになっている。


南三陸町。




あちらこちらで作業員さんたちが働いており、また新しく綺麗な住宅・施設もたくさん建ち並んでいる。
災害などに負けず、また立ち上がるのだという強い意志のように感じられる。たくましいな。


気仙沼市を過ぎると、


宮城県を抜けて、


岩手県に入る。陸前高田市。


絆。復興。がんばろう。
随所に掲示されている共通の想い、言葉の力。


いわゆる「奇跡の一本松」がある辺りに、道の駅のような場所が。これらを購入した。

個人的には、一本松を休ませてやって欲しいとも思うけど。
足もとは海水に侵され、仲間もいなくなり、独り立ってるのも、つらいだろうなと。
でも松を見にくる人たちも散見されたし、こうして震災・復興をシンボライズした名所というのも大切である。


地図上でたまたま、温泉を発見。南東側の半島を、先端まで行く。
こちらも津波の被害を受けたようだが、再建したそうだ。秘湯という感じ。


黒崎仙峡、という景勝である。


ここは、なかなかの圧巻であった。
大波が大岩にぶつかり、何メートル十何メートルもの白波となって、高く宙に上がっていく。


動画で。


温泉は、洗い場10程度。
内湯のみだが、太平洋を眺めながらお湯に浸かることができる。


おんちゃんが4,5名ほど、お喋りしながら入浴していた。
地元の人たちの、癒やしの場なのだろう。


誰もいない夕暮れの工事現場は、哀愁がある。


小学校の敷地内には、仮設住宅が。
車が置いてあるし、未だに住まう人たちがいるのだろうか。


[大体の走行ルート] ※大雑把に示しているため、実際の運転とは必ずしも一致しない
【走行距離:307km/Total:2,283km】


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